自己紹介

初めまして。

アフィリエイターTAKA(タカ)です。

2017年8月からブログ運営に挑戦し、
今もノートパソコン1台で生計を立て、
ストレスフリーな生活を送っています。

 

以前は東証一部上場の企業に正社員として
勤めていた企業戦士でした。

今でこそネットビジネスの世界で
生きている私ではありますが、
勤めていた会社ではパソコンを使う時間も
そこまで多い職業ではなかったため、
初めてネットビジネスに参入する際は

かなりのド素人でした。

 

「ドメインとかサーバーって何?」
「広告収入ってどうすればいいの?」
「ワードプレスで記事を書くとは?」

ネットビジネスでは当たり前のように
飛び交う言葉も全然知らなかったんです。

実際にやってみると作業自体はそこまで
難しいものではなかったですね。

 

ところがとにかく奥が深い!

やればやるほど面白くなってくる世界で
いつしか生きがいとなっていました。

 

それなりの会社に勤めていて将来も
安泰に思える人生を歩んでた私が、

いったいなぜネットビジネスを始め、

アフィリエイトで生活できたのか?

 

会社員時代や転職した経験だけでなく、
現在のライフスタイルも紹介します。

 

人生に満足できず不安や悩みだらけで
どうにか生き方を模索していた私が選んだ
”アフィリエイトへの道”をまとめました。

大学卒業から就職、そして退職

私は都内の大学を卒業後に東証一部上場の
スポーツ系企業に新卒入社しました。

それから数年間は会社組織に属する
企業戦士としてサラリーマン生活を送り、
忙しい日々を過ごします。

 

会社員時代は決まった時間に出勤し、
朝早くから満員電車に揺られて、
上司や先輩社員との付き合いに苦悩し、
後輩からの文句を聞く始末。

仕事がひと段落したかと思えば取引先から
クレームが入って対応に追われるなど、
多くの方と同じように朝から晩まで
働いていました。

 

しかもどんなに頑張っても給料が急に
上がることもないですからね。

いくら売り上げても利益は会社に搾取され、
自分には決まった給料しか支払われず。

 

それでも業務自体はそんなに嫌いではなく、
入社当初は自分なりに未来像も描いて
「定年まで働こう」と考えていました。

 

しかし数年間働いていく内に少しずつ
意識が変わります。

 

私は小学生の頃からスノーボード
やっていました。

プロを目指すほどではないのですが、
唯一そこそこ自慢できる趣味でした。

大学生の頃はアルバイトで貯めたお金は
ほとんどスノーボードの道具代だったり
交通費などに消えていきました。

 

社会人になって以降は休日を利用して
週1くらいのペースで滑っていました。

主に日帰りで行っていましたけど、
友人と滑りに行くこともあれば、
1人で行くこともありました。

滑走日数も1シーズンで最低でも
20日は滑ってましたね。

格安の素泊まりを利用したりして
冬のスノーボードが生き甲斐でした。

 

しかしそれだけでは足りなかったです。

「毎日スノーボードがしたい!」
「練習して上手くなりたい!」

スノーボードありきの生活がしたくて
毎日のように考えていましたね。

 

仕事はそれなりにやりがいと熱意を持って
会社のために頑張っていました。

しかし1週間の多くを仕事に費やし、
1〜2日だけ滑りに行く。

そしてまた仕事をする日々が始まる。

満足できるほど滑りに行けたかというと、
やはり大学生の頃に比べたら減りましたね。

 

このまま会社に勤めながら休日に
趣味を満喫するという人生。

おそらく多くの社会人がそのような
人生を送ることでしょう。

 

しかし私は物足りなかったです。

「もっと滑りに行きたい!」
「スノーボードありきの生活がしたい!」

日に日に思いが募っていきました。

 

ついに私は退職を決意します。

脱サラして雪国への移住を決意しました。

 

「どんだけスノーボードが好きやねん」
って話ですよね。

でもそこそこ上手かったんですよ私!(笑)

プロライダーほどではありませんが、
一応「上級者」と自負しておりました。

 

月10日ほどの休日に滑るだけでは物足りず、
正社員として入社した会社を辞めるなんて。

見方によっては頭がおかしいと思います。

雪国へ移住、スノーボードで山籠り

新卒で入社した会社を退職して念願の
スノーボードライフを手に入れた私は
毎日のように冬を楽しみました。

普通なら朝4〜5時くらいに出発して
数時間かけてスキー場に向かい、
帰りは疲労で眠い目を擦りながら
運転するのが当たり前です。

渋滞にはまることもしばしば。

 

しかしスキー場近くで暮らしている私は
朝7時くらいに起きても余裕で朝一から
滑ることが出来ます。

リフトが動く前から滑ることが出来るので、
パウダー日和なんか最高でしたね。

 

雪が降っている日は誰も滑っていない状態、
いわゆる”ファーストトラック”を
思う存分滑ることが出来る生活なので、
フカフカで誰も滑っていない綺麗な雪面を
縦横無尽に滑ることが出来るという

最高の瞬間を何度も味わえました。

 

逆に朝起きて天気の状態や風の影響、
気温などを把握できるので、
余計な荷物を持っていく必要もないです。

全てにおいて最高の生活でしたね。

 

会社を辞めて雪国へ移住してからは
農業や飲食店でアルバイトをしながら
冬は毎日のようにスノーボードをして
貧しいながらも楽しんでいました。

ただ今思えばスキー場でバイトしたり
夏はリゾートバイトで生計を立てるなど
効率の良いやり方があったと思います。

 

しかしスノーボードはなるべく縛られず
自由気ままに毎日滑りたかったので、
どうしてもスキー場で働きたくなかった。

それはそれで有意義な人生でしたね。

 

あとで分かったことなのですが、

・リフト係でも休憩時間は滑ってもOK
・ディガーは基本的に滑っていることが多い
・圧雪車や除雪車の操縦であれば営業時間外で勤務するため滑り放題

などといったようにスキー場の勤務でも
滑る時間はたくさんありました(笑)

今となっては遅いですが。

 

話は戻ってスノーボードライフは
とにかく楽しかったですね。

会社員の頃から基本的に一人で滑りに
行くことが多かったので、
平日は一人で滑って練習しまくり、
週末には友人が遊びに来て一緒に滑るなど
貧乏でしたけど充実していましたね。

 

それだけ私にとってスノーボードとは
人生において大切な存在でした。

 

プロになれるほどの実力ではないですが、
地形・パウダー・パークを自由に滑って
自分なりのスタイルを追求しました。

貧乏生活の限界、就職を決意

スノーボード人生を満喫していましたが、
収入も少なく経済的に生活水準を保つのが
現実的にだんだん難しくなっていきました。

 

農業アルバイトで貯めたお金は冬の生活費で
すぐに無くなってしまい、
かなり節約した生活を強いられましたね。

納豆ご飯だけで凌ぐ月もありましたよ。

本当にひもじかったです。

 

そもそもダメ元で山籠り生活を目指したので
1シーズンでも毎日のように滑ることが
出来たのはいい経験でした。

本当は住み込みで働きながら滑る生活が
最も充実したスノーボードライフでしょう。

しかし人見知りな私はどちらかというと
一人で滑るほうが気楽だったので、
自分の空間がどうしても欲しかった。

貧乏でしたけど気持ちは楽でしたね。

 

でも食べることができなければスノーボードも
楽しむことができなくなるので、
仕方なくハローワークに行って職を探します。

 

最初に就職したのは林業の仕事でした。

安全服を着て山の中に入っていき、
チェーンソーを使って木を切る仕事です。

 

生まれて初めてチェーンソーを持ったので
初めはちょっとビビりました。

それでも自然は大好きだったので
すぐに慣れると思っていました。

 

しかし大木がバキバキ折れる音と同時に
ヒューッと風を切る音が想像以上に
迫力が凄くてとにかく怖かった。

実際に林業は命の危険性もある職業なので
安全確認も仕事のうちの一つです。

その緊張感に耐えられなかったですね。

小心者でビビりの私にはキツかったです。

 

残念ながら1週間で退職しました。
本当にヘタレですよね。
自分が嫌になりましたよ。

 

林業を辞めた後は肉体労働以外の仕事を
探すことに決めました。

パソコンでの作業も嫌いではなかったので
事務職も選択肢に入れていましたね。

 

ハローワークでたまたま見つけたのが、
主にお墓をメインに扱っている石材会社で、
お墓の字彫りオペレーターという仕事でした。

石塔や過去碑に掘る字の原稿やゴムの型を
作成する仕事ですね。

実際に彫るのは職人さんです。

 

これなら肉体労働ではないと思い、
さっそく応募しました。

しかし面接に行ったところ、
「履歴書の字が汚い」と一刀両断!

確かに私は字が綺麗ではないんですね。
これには謝るしかありませんでした。

 

絶対に落ちただろうと思っていましたが
ちょうど別の職種で人員を募集しており、
図面を設計するCADオペレーターとして
採用していただけるようになりました。

今まで全くやったことのない仕事なので
なぜ採用してもらえたのか謎でしたが、
試用期間で判断するとのことでした。

 

希望の職種以外で採用されるとは
全くの予想外だったので、
人生は何が起こるのかわからないものだと
改めて感じましたね。

人間関係のストレスで体調不良に

入社後は2週間ほど現場作業に同行し、
墓の構造を学びました。

わからないことだらけでしたが、
意外と凝った設計だったので面白く、
凄くやる気が出てきましたね。

石の種類もたくさんあって楽しいですし、
かなり勉強させてもらいました。

 

CADオペレーターの仕事は楽しかったです。

かなり細かい作業になるので目がチカチカと
疲れる仕事ではありましたが、
その会社でもそれなりに熱意を持って
仕事していきました。

そこそこパソコンが使えたのもあって
初めて図面を引いたときも上司から
評価していただけました。

 

「もしかしたらこの仕事向いてるかも」

 

そんな気持ちになりましたね。

新卒で入社した会社ではどちらかというと
落ちこぼれのような存在だったので
新たな場所を見つけたのが嬉しかったです。

 

墓の構造について積極的に勉強し、
休日にはお寺や霊園に行って他のお墓を
見てデザインなどを勉強するなど、
とても意欲が湧いたのを覚えています。

 

しかしどうしても苦手で我慢できず、
ストレスに感じてしまうことがありました。

それが人間関係です。

 

職場の人たちはいい人たちでしたが、
ミスした時に怒鳴られるのが凄く嫌で
それが重なると体調を崩すこともありました。

論理的に叱られることは平気なのですが、
感情的に怒鳴られるのは苦手なんですよね。

 

落ち込むくらいならいいのですが、
過去には頭に血が上ってしまって
危うく拳が出そうになったことも。

落ち込んだりキレそうになったり、
感情のコントロールが難しくなって
ストレスを感じる性質なのかもしれません。

 

しかし就職以外考えていなかった私は
「どこの会社でもこんなことはある」と
自分に言い聞かせて耐えました。

耐えて耐えて、一所懸命働きます。

CADオペレーターの仕事は楽しかったので
辞めたくない気持もありましたね。

人間関係なんて細かいことは気にせず、
いずれ慣れるだろうと信じていました。

 

しかしとうとう限界が来てしまいます。

 

ある日から急に出勤前から吐き気があり、
家を出る前に嘔吐してしまいました。

食事などで原因は考えられなかったので、
すぐにストレスだろうと思いました。

それでも会社の業績が好調だったので
仕事をどんどんこなすためにも
休むわけにはいきませんでした。

 

「ちょっと吐いたくらいで負けちゃダメだ」

とにかく自分に言い聞かせて出勤します。

 

しかし朝起きたらいつも吐き気が治まらず、
毎日のように嘔吐してしまうことに。

何週間耐えたか覚えていませんが、
仕事にも支障が出てきてしまうほど
具合が悪くなっていきました。

 

苦しくて苦い表情だったと思います。

社長から「態度が悪い」という理由で
怒られてしまいました。

まあ怒られる理由は他にあるんですけどね。

 

どんな理由かというと社員旅行に
行くか行かないかで揉めたんです。

 

社員旅行には社員が給料から天引きされている
積立金を利用して行くようなのですが、
入社したての私は積立金が少ないために
数万円実費で行くしかありませんでした。

そもそもそういう旅行に行きたくなくて
高額な旅費を理由に断ったんですよ。

いくら休みといえど会社の旅行なら
旅行先でも仕事の延長のような感じで
数日間過ごすわけですからね。

それを実費で行くなんて考えられないです。

 

初めは当然会社負担だと思っていたので
金銭面を理由に旅行を断ったら、
社長が鬼のような形相で怒り出し、
ものすごく怒ってきました。

すでに体調不良で限界だった私は
昔のようにキレて言い返す気力もなく、
「じゃあ辞めます」と伝えました。

なんだか辞め癖が付いてますね(笑)

 

社長も相当頭に血が上っていたのか、
すんなり受け入れてくれたので
すぐに退職することができました。

どこかホッとした気持ちになり、
気が楽になったのを覚えています。

本当は辞める前に病院へ行こうと
思っていたのですが、
その前に社員旅行の件で揉めてしまいました。

 

とりあえず病院に行って吐き気が
止まらないことを伝えたところ、
内視鏡検査で見てみることに。

すると食道の入り口が真っ赤に荒れていて、

「逆流性食道炎」と診断されました。

 

食事は今までと変わらずのメニューで
お酒もほとんど飲まなかったので、
事情を説明したところ医者からは

「嘔吐を繰り返したことが原因」
「おそらくストレスでしょう」

と言われましたね。

 

その時に思いました。

「自分は会社勤めに向かない」と。

 

おそらく誰しもが経験するストレスも、
きっと私には耐えられない。

仲の良い人間関係は居心地もいいけど、
職場の人間関係は何かがこじれると
ギスギスしてとにかく面倒くさい。

プライベートと違って苦手なタイプの人と
上手く連携するのは苦痛でしかない。

 

でもそれって悪く言えばワガママで
自分勝手な考えですよね。

私だって誰かを傷つけているかもしれないし、
得意も苦手も含めて人間関係ですから。

組織の中で生きるとはそういうことです。

そんな自分に自信を無くしましたが、
自分を受け入れないと前に進めないので
転職することを断念します。

再び脱サラ、外注で在宅ワーカー

就職する道を断念した私は、
今後どう行きたらいいか模索しました。

自分が嫌いになりそうでしたけど、
それだと何も解決しないので

自分の短所も含めてもう一度
自己分析を始めました。

 

どれだけ真剣に頑張ったとしても
毎月決められた給料しか支払われず、
毎日決められた時間に出社し、
日々人間関係のストレスと戦い、
自分のやりたいことや主張したい意見が
なかなか通らないことへの苛立ちから、

「自分は会社(組織)に向いていない」

という短所。

 

しかし逆に考えれば、
「一人で仕事すれば集中できる」
ということかもしれない。

しかも個人事業主として生きていけば
「働きたいときに働き休みたい時に休む」
という自由も手に入れられる。

 

もしかしたら新卒で入社した会社でも潜在的に
自由に働きたいと思っていたかもしれません。

元々何かに縛られるのは嫌いな性格なので
もしかしたら就職しないほうが自分流に
働けて楽しいかもしれないと感じましたね。

 

その代わり責任は全て自分に返ってくるので
今度こそ言い訳が通用しません。

就職を断念した私にとっては最後の道として
個人事業主の道を選択します。

 

・人間関係のストレス

・働くも休むも自分次第

これがネットビジネスを始めるように
なっていったきっかけかもしれません。

 

上記の悩みを解決するためにどんな仕事が
日本に存在しているのか模索した結果、
在宅のフリーランスで働く道を選択します。

家で仕事をしながら働きたいときに働き、
休みたいときに休む。

稼ぐも稼がないも本人次第という選択を
選ぶことを決意しました。

 

当時は在宅ワークにどんな仕事があるのか
全く知識が無かったため、
まずは大手のクラウドソーシングサイトに
登録して仕事を探しました。

 

そこで興味を持った仕事が「記事執筆」です。

元々文章を書くことに憧れを抱いていたため、
さっそく募集している仕事を探しました。

 

何の記事を書くのか決めていませんでしたが、
「まずはやってみよう」と思って
たまたま募集していたテーマの記事に
興味が湧いたこともあって、
さっそく応募させていただきました。

 

今まで数千文字の文章を書いた経験は少なく、
ましてや不特定多数のネットユーザーに
読んでもらえるような記事を書くことなんて
一度も体験したことはありませんでした。

初めて記事を提出した際は完成度も不安で
ドキドキしましたね。

 

案件の依頼者様から
「サンプル記事を書いてください」と言われ、
生まれて初めて記事をテキストで執筆しました。

依頼されたサンプル記事を提出したあと
「厳しくダメ出しされるのではないか」と
かなり不安だったのを覚えています。

 

記事を提出後に依頼者様から記事について
ご意見をお伺いしたところ、
とても良く評価していただけました。

これまで社会人として仕事を褒められた
経験がとてつもなく少ない人間だったので
本当に嬉しかったです。

 

それから記事を書くことが楽しくなり、
在宅フリーライターとして生きていこうと
決意しました。

 

もちろん収入はさほど多くありません。

ギリギリ食いつなげる程度です。

 

それでも「自分の生きる道」をやっと
見つけることができた喜びのほうが
大きかったですね。

師匠との出会い、アフィリエイトの道へ

初めて記事を書く仕事に就いて、
純粋に楽しい仕事だと思いました。

テーマや書き方など決まりはあるものの、
自分の言いたい事や感想なども書けるので
やり甲斐を感じましたね。

また多くの方々に読んでいただけることで
小さくもプロ意識を持つ事ができました。

自宅の落ち着いた環境で自分のペースを
調整しながら仕事するのは快適でしたね。

 

また私が何より恵まれたことは
依頼者様がとても親身で親切なこと。

記事の書き方やネットリテラシーを
熱心に教えてくれたことで
今の仕事にも生かされています。

記事で良い点はすごく褒めてくれますし、
悪い点は丁寧に指導してくれました。

モチベーションを高く維持できたので、
今でも恩人だと思っています。

 

記事のすり合わせに関しては
スカイプ通話で連絡することが多く、
記事以外に雑談なども多く話しました。

依頼者と外注の関係でしたけど、
通話するのも楽しかったですね。

趣味の話もしましたし。

数多く通話でやり取りしていた時から
アフィリエイトのことも教えてもらいました。

 

当時はアフィリエイトのことは詳しくなく、
実態をほとんど知りませんでした。

私のような凡人が出来る世界だと思えず、
パソコンのスキルや最先端の情報を
掴むことができるセンスを持つような
一流の人間が生き残る世界だと。

しかしクライアントから記事の完成度を
褒めてもらえることが多かったので、
自分の生きる世界を見つけることができて
本当に良かったと思いました。

 

しばらく外注という形でライター業を
続けていましたが、
徐々に生活が厳しくなっていきました。

依頼者様の下で記事を書くだけだと
贅沢な暮らしは難しかったです。

記事の単価は低くはないのですが、
一般的な会社員の平均収入に比べると
収益は出せませんでしたね。

記事を書くのも慣れてきた時期だったので
もう少しだけ収益を上げたいとも
感じていたのは事実です。

 

「もしかして自分でサイトを持ったほうが稼げるのではないか?」

記事を書くことに慣れてきた私は、
サイトの運営にも興味が出てきました。

 

初めは自分で個人のサイトを持つなんて
ネットの専門的な知識やスキルが必要で
かなり難しいことだと思い込んでいました。

ブログ運営について色々と調べましたが、
調べれば調べるほど独学では成功できる
イメージが浮かばなかったですね。

 

そこでサイトを運営する方法について
精通している方を探しました。

どの人に教えてもらおうか迷いましたが、
すごく説得力のあるメンターを見つけました。

「この人から話を聞いてみたい」と感じ、
思い切って連絡して話を聞いてみました。

初めは非現実な話に発展するのかと思いきや
とてもリアルな話を淡々と語ってくれて、
「自分もやってみよう」
決心することができました。

 

アフィリエイトの世界は資格も学歴も
関係ない完全実力至上主義の世界。

年齢を重ねても勝負できる仕事なので
やる気も出てきました。

それに就職する道を諦めた私にとって
アフィリエイトは背水の陣

これでダメなら人生終了の覚悟を持って
絶対に成功してやろうと決意しましたね。

ブログ運営の実績

初めて自分でブログサイトを持ったのですが、
最初はトレンドサイトでスタートしました。

それが2017年8月ですね。

 

当初の目標は「月10万円達成」

先述の依頼者様の下で記事を書いていた頃から
ネットリテラシーやキーワード選定について
熱心に教育をしていただけたため、
記事の更新頻度は毎日3記事ペースで
順調に書くことが出来ました。

 

開始してからの1ヵ月目、2ヵ月目は
ほとんど収益は出ませんでした。

「約90%のユーザーが月収5000円未満」
と言われているアフィリエイトの世界、
始めは数千円も見えませんでした。

しかし「必ず成果は出る」と確信していたので
モチベーションが下がることはなかったです。

それよりも「いつから収益が出るのか」
ハングリーな状態になっていましたね。

 

「アフィリエイトは稼げない」

なんて情報もネットに出回っていますが、

正しい方法を継続して実行すれば

確実に収益を出すことができます。

 

全然アクセスのない日々が続きましたが、
とにかく収益が出るまで諦めることなく
記事を書き続けました。

少しでも迷ったことや困ったこと、
また自分に自信が無くなりそうなときも
メンターとの通話コンサルでやる気が
落ちないようにしてもらいました。

 

その結果3か月目で月5万円弱の収益が発生、
気づけばライバルサイトを抜いて
上位表示されるようになりました。

そして12月には月収16万円を達成し、
1月はたった10本の記事数
月収18万円に到達しました。

 

3月には1記事で日収4万7000円という
数字を叩き出したこともありました。

会社員時代の収入を凌駕しています。

 

【2017年8月収益】1,014円

【2017年12月収益】16万5,616円

【2018年1月収益】18万2,597円

 

【2018年3月27日収益】4万7,655円(日収)

 

他にもどれくらいPV数があるかというと、
多い時は瞬間アクセスで6000人以上
サイトに訪問したことがあります。

【リアルタイムアクセス数】

さすがにこれだけアクセスが来た時は
サーバーもダウンしてしまいました(笑)

 

こうなってくると就職してた頃の人生は
いったい何だったのだろうかと思うほど
確実に収益を出すことができましたね。

しかも頑張れば頑張るほど会社ではなく
自分に返ってくるのがとにかく嬉しくて
アフィリエイトにハマっていきました。

 

きっかけを与えてくださった依頼者様や
直接指導してくださったメンターには
感謝の気持ちでいっぱいです。

 

現在では他に運営サイトを増やして、
どんどん収益が上がる仕組みを構築中です。

会社員時代では身に付かなかった野心が
今メラメラと燃えているところです。

アフィリエイターとして思うこと

今思えば私の人生は本当に一貫性がなく、
同時に計画性も皆無でした。

辛いことを乗り越える努力もしなければ
改善しようとする気持ちも無くて、
本当に”社会不適合者”だったと思います。

 

頑固でワガママな性格でしたからね・・・。

昔はそんな自分が嫌いでしたよ・・・。

 

でもそこは割り切るようにしました。

「みんなと同じような社会人生活を送れないなら、逆に好きなこと何にでもチャレンジできるじゃん」

 

一般企業に勤めれば勤務時間も休日も
他の人たちと同じような生活、
つまり”量産型の人生”を送るんです。

遊びに行くにしても人混みだらけ、
唯一自分らしさを出せるプライベートも
量産型になっていきそうな気がしました。

私は量産型の人生を歩みたくないので、
自らが責任を負って自力で道を切り開く、
そんな人生を選択しました。

 

今こうしてアフィリエイトの道を歩んで、
自分を好きになったような気がします。

 

誰かの目線や評価を気にすることなく、
自分なりの時間を過ごしていく。

責任が全て自分に返ってくるんだから、
それくらい自由でもいいですよね。

髪型や服装だって会社の就業規則に
従う必要もありませんし。

私は自己分析として自分自身が社会に
溶け込めないような性格だからこそ、
アフィリエイトが合っていたと思います。

 

ただし私は決してエリートではありません。

堀江貴文さんのような風雲児でもなければ
西村博之さんのような頭脳明晰でもない。

私はただの一般人です。

高学歴でもないし芸も持ち合わせていません。
顔や見た目がかっこいいわけでもないし
平凡すぎる男だと思います。

それでも何か成し遂げたい気持ちがあり、
自分の中で唯一しっくりきたのが
ネットビジネスでした。

 

この仕事は孤独な側面が非常に大きいため、
慣れないと不安が襲うこともあるでしょう。

ただ一般の会社では上司のキツくて嫌味で
不毛な叱咤が降りかかってくるでしょうが、
そんな上下関係のストレスを感じさせません。

社内の人間関係に苦労している人ほど、
個人で働くのもアリだと思いますよ。

 

私は今アフィリエイターになって
非常に満足度の高い仕事をしています。

会社員に戻るつもりはありません!

 

なぜなら正規雇用の会社員よりも、

・人間関係のストレスがない
・頑張った分だけ報酬に反映される
・時間に縛られない

からです。

アフィリエイトに出会ってやっと自分らしい
人生を見つけることができたので、
これだけは手放したくないです。

 

余談ですがスノーボードは引退しました。
手首を骨折したことが影響したのか、
後遺症として痛みが残ってしまいました。

スノーボードは手をつくことが多いので、
守りに入って攻める滑りができないことが
ストレスに感じてしまったんですよね。

余計にフラストレーションが溜まったので、
大好きだったスノーボードは引退しました。

 

本当はリゾートマンションを買って
別荘を持つ予定だったんですけどね。

唯一の趣味を失ってしまいましたが、
その分アフィリエイトで稼ごうという
やる気に満ち溢れています。

会社員でいた頃より収入は増えて
自由な時間もありますからね。

上限なく稼ぐことができるのも
アフィリエイトの魅力です。

 

ということで長々と紹介しましたが、
今の生活に満足していない方にとって
少しでも有益な情報になれば幸いです。

 

特に会社員として勤めている方の中で、

「人間関係がストレス」
「頑張っても給料に反映されない」
「時間に縛られるのが苦痛」

といった悩みを抱えている方にとって
共感していただけたら何よりです。

 

「今の会社に満足できない」
「転職を考えている」
「副業で稼いでみたい」

アフィリエイトは本業副業も可能なので
もし興味が出てきたのであれば、
一度チャレンジすることをオススメしますよ。

TAKAのアフィリエイト人生